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CHASIN'

Welcome!

ようこそ!石川均ともうします。

160515miles カントクとか脚本書きをやっております
い~かげんなメモ、~だらだらした思いを書き連ねております。
日記風の体裁ですが日付はテキトーでフィクションも多いです。
このところは「ジャズ古代史」と「日本古代史」の話が多いかもです。だいたいマユツバです!

読み飛ばしてってくださいませ~。
あと、仕事ください!

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この下からが新しい記事になります。↓

2019年3月31日 (日)

ショーケン

 

 

ショーケンが死んでしまった。

 

 

2018年12月24日 (月)

明日は

おお!

明日は今年最後の現場だ!寝る!

2018年10月19日 (金)

わお

今日は大事な台本をおあずかりしてしまった。

酔いがさめたら拝読しますm(_)m。

2018年10月 2日 (火)

頸椎椎間板ヘルニア手術体験記4 【死霊のはらわた】

その痛みは、なんと言いますか、あれです、ホラーです。
右肩から右手の先までが自分じゃないんです、悪魔です。
それがひっくり返って裏返しになって、自分の体の中に食い込んできます、そして内臓をグイグイ掴むという感じです。「死霊のはらわた」(wiki)です!
肘が勝手にビクビク震えます。実際に震えてたかどうかはわかりませんが。中に何か入っているような!それが飛び出してきそうな!
まったくワケがわかりません。絶叫、悶絶。
神経が完全にバカになっているのです。回路がめちゃくちゃになっているのです。

ぐわぁぁぁぁああ!ぐぇえええ!
狂ってしまうかと思いました。

呻きました。悶えました。のけぞりました。
うぅ、書いてて耐えられない・・


つづく

2018年10月 1日 (月)

頸椎椎間板ヘルニア手術体験記3 【闇の中へ】

ここから続き



手術室に入ります。
ひんやり。静か。独特の照明。青い世界。
まだ執刀医さんはいらっしゃいません。
カチャ、カチャ。金属が触れあう音。
3人ほど麻酔担当の方がいらっしゃいました。明るく、
「こんにちは!」と挨拶されました。
ワタシは暗く、
「こんにちは」
と答えました。

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2018年9月30日 (日)

頸椎椎間板ヘルニア手術体験記2 【なぜ口説くのか!?】

ここからのつづき~

Namida 今はもうこういう(どういう?)時代ですから、そんな変な人はいませんが、昔はいたんです!
(昔の言い方で「看護婦さん」と書かせてもらいます)


「俺、手術室に運ばれながら看護婦を口説いたんだぜ、えっへっへ!」


みたいな馬鹿なことをいう奴が!
俺ってすごいだろ?手術前なのに余裕だろ?ふてぶてしいだろ?度胸あるだろ?いけてるだろ?
ということのようですが。
しっかし失礼ですよね!
そういう奴はワタシには縁が無いおバカさんと思っていました。


しかししかし、それを、ワタシがやってしまったんですね!


「看護婦さん、キレイですね」


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2018年9月27日 (木)

頸椎椎間板ヘルニア手術体験記1【最後に見る世間】

・・またまた長いことほったらかしにしてしまいましたm(_)m。

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はいッ!ということで、このページ(アタシのホムペ)以来のヘルニア~(^^;)/~!記事です。

Namidaもう20年近く前のことになってしまいました。あれから医療形態はずいぶん変わったことでしょう。
もう現実的な参考にはならないと思います。むかし話としてお聞きくださいませ。


2000年4月の頸椎椎間板ヘルニアの手術体験でございます。報告させていただきます~m(_)m。
詳細忘れてしまったのでいろいろ話がジャンプします。ご了承ください!


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・・・そして翌昼。
記憶は飛んで私はもうストレッチャーの上。ゴロゴロゴロ。手術室に運ばれております。さらば地球よ!

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2018年9月18日 (火)

オキナガタラシヒメとは何か

 

ここから続き

日本書紀(以下、紀)の重要登場人(神?)物、神功皇后のオキナガタラシヒメ。
同書は神功紀に魏志・倭人伝の記事を挿入しオキナガタラシヒメが「卑弥呼orトヨ」と受け取れるような編集をしている。誰かが後から付け加えたのだという説もあるが。
編者の意図は?
①ほんとうに神功=卑弥呼orトヨと思った。
②何かを「はぐらかす」ためにそうした。
③わからなかったので参考として並べ後世に判断を委ねた。
①に近い③でしょう。でもたしかに神功が卑弥呼だと都合が悪いところもあるので②もあるか。魏志・倭人伝を読んだ編者がオキナガタラシヒメを創作したという気もする。ほかにもたくさん卑弥呼候補を立ててウヤムヤ煙に巻こうとした。

倭人伝以外にも、昔とても偉い女性リーダーがいたという伝説はあった。そのいくつかが混じりあいオキナガタラシヒメというキャラクターが生まれたのでは。卑弥呼以外にも有力なモデル、カミサマや人が大勢いたのだ。
つまりオキナガタラシヒメは卑弥呼(トヨ)であり、加えてほかの伝説にある女傑達の習合、集合体でもある。

以下、乱暴に仲哀~神功紀をたどります。

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仲哀元年。タラシナカツヒコ即位。
その秋、母を尊んで皇太后と呼ぶ。
その冬、父を尊敬しない異母弟を殺す。
仲哀2年1月。タラシナカツヒコとオキナガタラシヒメが結婚。タラシナカツヒコは初婚ではなく既に別の奥さんがいてその間にカゴサカノミコ、オシクマノミコなどの子をもうけている。※カゴサカノミコとオシクマノミコは後にタラシヒメと戦う。
2月。夫婦は敦賀に住む。
3月15日、タラシナカツヒコがひとりで旅行。出先でクマソをすぐに討とうと思いつく。
某日、タラシナカツヒコが九州の穴門(あなと)からタラシヒメを呼ぶ。
※7月に再会?
9月から穴門(あなと)に(ふたりで?)6年間住む。
6年後。仲哀8年。
1月。ふたりで筑紫に入る。香椎の宮に住む。
9月。クマソを討つことを相談。
そのときカミのお告げあり。
タラシナカツヒコに、「クマソではなく新羅を攻めなさい」
タラシヒメには、「あなたは身ごもっている。その子が国を得るだろう」
タラシナカツヒコはお告げに従わずクマソを攻める。勝てず。
翌仲哀9年2月6日。タラシナカツヒコ病死。
※別の説によるとお告げがあった翌日に死んでいる。
3月。タラシヒメが(※あの有名な!)タケウチノスクネに琴を弾かせた。
同月。タラシヒメが北九州のクマソや山門のタブラツヒメを攻めた。※この頃妊娠6ヶ月。
9月10日。臨月になったが石を腰に挟み出産を伸ばす。※前年9月の妊娠からもう1年たっている。
10月3日。タラシヒメ、新羅を攻める。
12月14日。筑紫に戻ったタラシヒメがホムダワケ(後の応神王)を産む。※妊娠1年3ヶ月だった。
翌年2月。前述したカゴサカノミコとオシクマノミコが挙兵。淡路島あたりでタラシヒメを待ち伏せる。しかしそこでカゴサカノミコは猪に食われる。
タラシヒメは迂回し和歌山県方面からオシクマノミコを攻め(※だまし討ち)勝利。オシクマノミコは湖に入水。
12月。タラシヒメ皇太后となる。この年を摂政元年とする。
3年後。
神功3年、春。息子ホムダワケ(※当時3~4才?)を皇太子とする。大和の磐余に都を造る。
神功5年。新羅の使い(朝貢)を迎える。
神功13年、春。息子ホムダワケを亡き夫タラシヒコゆかりの敦賀・気比神宮にお参りさせる。※ホムダワケはその時気比神宮のカミと名前を交換したという。喜んだタラシヒメは大宴会を催す。
神功39~43年。タラシヒメが魏に朝貢したと思えるような記述あり。※これは卑弥呼の時代に合わせている。
神功49年。新羅を攻撃。
神功50~。百済とのつきあい増える。百済王族が頻繁に出入り。
神功52年。百済が七支刀(しちしとう)一口を献じた。
神功62年。新羅を攻撃。また加羅諸国(伽耶)を制圧した。
神功66年。この頃邪馬台国のトヨが魏に朝貢した一件を記している。※さりげなく神功がトヨだと仄めかしている。
神功69年。タラシヒメ崩御。この時100才。
※翌年。ホムダワケが即位。この時、計算でいけば66才。


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仲哀紀

タラシナカツヒコがたいへんな両親思いであるというエピソードからはじまる。
母を尊び皇太后と呼ぶ。これは紀の定番儀式。
次に父を尊敬しない異母弟を殺す。こういうこともしょっちゅう。後にタラシナカツヒコの「息子」ホムダワケが同じ体験をする。母タラシヒメが彼の異母兄弟を殺す。

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2018年9月16日 (日)

山門のタブラツヒメは卑弥呼か

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卑弥呼vs卑弥呼

ということで(?)今度はタブラツヒメに興味を持った。
日本書紀(以下、紀)に登場する彼女こそが邪馬台国の卑弥呼あるいはトヨではないかという気がしたのだ。考えてみる(妄想)。


いや、紀で卑弥呼とされてるのは神功皇后だって?たしかに。
神功紀で「魏志・倭人伝」を取りあげ、そう受け取れるような編集をしている。
だがハッキリそうだと言いきっているわけではないのだ。引用記事をそこに並べているだけ。だったら我がタブラツヒメだって神功紀に出てくる同時代の女性リーダー。卑弥呼立候補の権利は充分にある。
(日本書紀はいくつかの時代に何人かの卑弥呼候補を書き込んでいる気がする。「アマテラス」~「トヨタマヒメ」~「~モモソヒメ」~「神功」~「飯豊皇女」・・などなど。)


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2018年9月15日 (土)

ウダノアガタのエウカシはアイヌか

テレビをつけたら「アイヌ語で長老のことをエカシという」とやっていたので慌てる。その単語に聞き覚えあり。本棚に走り日本書紀を開く。



神武紀。
イワレビコが奈良県宇陀郡に入り、あたりの士豪エウカシとオトウカシの兄弟を呼び出した。弟のオトウカシはイワレビコに恭順したが兄のエウカシは逆らった。(誤訳?)
・・とある。
逆らった兄貴の「エウカシ」が「エカシ」と似た発音である。もしかして同じ意味を持つのかもしれない。とすると、古代の奈良にアイヌの先祖がいた可能性が出てくる、かもしれない。


まさか!とは思うが、いちおう考えてみよう。


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